【 私が星座物語をWebでは書かない理由 】

現在語られている星座物語は、ローマ神話をベースとしたもので、オリジナルのギリシャの星座物語ではありません。ローマ人とギリシャ人では、死生観が根本的に違うのです。ですから、変化してしまいました。
古代ギリシャ時代の星座物語は、ギリシャ神話をベースとして、紀元前6世紀くらいから星座物語の断片が見られ、地域差がそのままヘレニズム時代まで残り、紀元前2世紀にローマに吸収されます。短い期間なのです。

と言いながら、ヘシオドスの「仕事と日々」に於いて、一部の星座や星が、季節毎の農耕や航海に使われています。ヘシオドスというと、伝説では紀元前750年頃と言われていますが、多くの研究者はそこまでは遡らないと、皆、思っています。また東方世界をみれば、ムルアピンが紀元前687年(最古)ですから、時代的にはリンクしてきます。

ヘシオドス以前のホメーロスで歌われた世界(BC12世紀以前)でも、星座名は出てきます。が、その内容は、更に古いエジプト文明期のオシリスとイシスの物語が反映されているので、大ピラミッド時代までは楽に遡ることになります。ギリシャ方面では、ミュケナイ期の星座の記憶となりますが、殆どわかりません。それでも天の狩人としてのオリオンが、ヒッタイトルートで伝搬します。原典は狩人ケッシの物語です。ヒッタイト=アカイア(ミュケナイ)ルートが存在しなければ、レムノス島のヘファイストス神の存在は誕生しなかったでしょう。これが後のユダヤではケシル=愚か者となります(信仰の対象でしたので)。紀元前2000年紀のメソポタミア方面は、乱世でした。

更に遡ると、紀元前2200年過ぎに気候が変動し、大きな人々の流れが発生しました。食を求めた遊牧民たちによる攻撃が繰り返されるようになり、紀元前2000年にはシュメールは滅び、この流れの余波で印欧語族が南下し、原始ギリシャ人たちがギリシャ本土にやってきます。
この余波は、クレタ島のミノア宮殿建設時期と低年代説時代のシュメール崩壊(BC1940年)がリンクしますし、中年代説でも説明は可能です。この島での儀式が、クノッソス宮殿などの主要4宮殿の中庭方位角として、当時の夏至の朝出星座であったオリオン座が、様々に使用されていました。この時は現在の物語中のオリオンではなく、シュメール・アッカド系のタンムズ神でした。島の出土品の多くから、大女神と小型天空神が崇められ、イシュタル・タンムズ系なことは明らかです。つまりクレタ島の宮殿は、避難民シュメール文明の遺産なのです。宮殿建設時期のプロトパラティ時代がメソポタミアの影響を受け、紀元前1700年以後のネオパラティ時代では、エジプトの影響も入りますが、元を正せば同質なのです。
そしてミノアがミュケナイに滅ぼされた紀元前15世紀過ぎ、ミノアの信仰がギリシャ本土のエレウシスに伝搬します。ここで、漸くホメーロスで語られるオリオン座とおおぐま座の対立の意味と伝搬がわかるのです。
で、現在でもクレタ島では民族舞踏として、この時代の夏至のオリオン座の出現を祝った踊り(ペントザリス)が残されています。

しかもこれらの源流は、文明以前の紀元前4000-5000年の後期新石器時代に、そのオリオン座の原型を見出すことになります。
独立して更に古くは、ラスコーの壁画に描かれたオーロックスの群れの後方に昴が彫ら(ホラ)れているという報告もあり、有名(勇名)な博物館で確認できます。

このように、現行の星座物語がローマ時代の産物なので、おかしなところばかり目についてしまい、私には全く面白くないのです。ヘラクレスをヘルクレスと書くように、ラテン語発音をできるだけしたくないのです。ですから、星座物語のオリジナルとして、ギリシャ人時代のファイノメナやカタステリズミに興味を持ちます。しかも、現行の星座物語とは雰囲気が違うのです。更に説明したように、調べますと、キリが無くなってしまいます。

ざっと、簡単に辿ってみましたが、こんなことわかりますか?一般人にわかる世界ではないです。
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