Istanbul Photo Sketch
 何の躊躇いもなく、イスタンブルに移住した。
 ギリシャ好きの私にとって、この街は考古学博物館を除いては古代ギリシャ文明の匂いが希薄な街だ。だからいつも旅の中継地点としてスルタンアメフット地区界隈のホテルに宿泊し、殆ど開発していなかった。移住した今年の九月迄、私はトプカプ宮殿もハギア・ソフィアも地下宮殿も訪れたことがなかった。いつもゴミゴミしていてホコリっぽい街だという記憶しか無く、滞在の殆どは映画「深夜特急」に出演したラマザン氏の家でゴロゴロしていた。もうかなり昔のことだ。
 ギリシャが欧米以外の人々に対して相変わらずの対応を採り続けるので、多くのギリシャ遺跡が残されたトルコに住むことにした。当初はイズミル辺りに住むつもりであったが、ビザの手続とかの為にイスタンブルに通うのが面倒なので、アイルランド人のマイケルの意見には従うことが出来なかった。ギリシャ人は知りあえば仲良くなれるけれど、トルコ人は最初から親日だった。英語があまり通じないので、トルコ語を覚えたいと思う。小学生レベルを覚えるだけでも、旅先で違った世界を見ることになるだろう。   (20.Oct.2011頃)

【 2年後 】
 私のイスタンブル滞在は、2013年11月に終わった。
 9月にオリンピック候補地として落選。同下旬、夏に撮影した作品の売り込みにEUへ出掛けた時、フリーランス用のビザがEU先進国に存在することを知った。今迄、後進国しか知らなかったので、私はそのような「夢の話」を知らなかったのだ。この2つの出来事で、私の状況はすっかり変わってしまった。
 レジデンスオフィスに2ヶ月前の通知(部屋を出て行く意思表示)を行い、いろいろなことがあってトルコ人が嫌いになった。本当に腹黒い人たちだから、日系企業の方々はもっと毅然とした対応を取って欲しい。でないと、そのトバッチリを受けてしまう。幸い、日頃からレジデンスオフィスのスタッフとは良好な関係だった。その一人の意見を参考に私が日本人らしからぬ強気の対応を行ったので、スタッフ外の未開の原始人のような連中から随分と嫌な思いをさせられた。まあ先進国がアラブの春を引き起こしたくなるのもわかる気がする。
 一度嫌いになると、何を食べても美味しくなくなってしまう。カレーを作っても、鶏肉はボソボソ、牛肉は味なし、羊は味が濁る、ツナはキハダばかりでトンボ(鬢長)が無いので、野菜だけのカレーになる。まだ肉を入れるよりはマシだった。野菜も人口維持と品質保持の為に農薬をいっぱい入れてあるし、移動(流通)の過程での冷蔵装置が殆どこの国にはないから、鮮度は全く期待できない。要は、日々生活する上で飽きてしまったのだった。

 元々、ギリシャやトルコで人生を終わるつもりはなかった。世界文明の吹き溜まり様な国に住み続け、そこで名を挙げてどうなるのだろう?人それぞれだから、それはそれで本人の勝手であるが、私の目的とは一致していない。幸いにも日本出国時に意識したオリオン研究もまとめても良い段階まで来たし、女星写真という新分野の開発も出来たので、当初の予定は達成できた。
 私はそれらを持って(予定より2ヶ月早くなっただけだが)EUに移住することにした。   (29.Nov.2013)

These works are taken by Fujifilm X Pro1 LeicaM Monochrom with HDR(color) works.
歴史地区、新市街  by iPhone4