デュッセルドルフ
 日本人が多い街ということしか前知識はありませんでした。
 地中海沿岸諸国専門の私は、ハッキリ言ってここでは「流れ者」です。
 遍歴ですが、1994年からアテネ滞在が10年、その後もチョコチョコとギリシャ通いは続きました。東京滞在は2010年から1年半。その後はアテネに少し滞在して、2011年9月からイスタンブルに滞在していました。
 イスタンブル滞在の時もそうだったのですが、デュッセルドルフ滞在でも誰も知人がいない状態で住み着いています。少し違うところは、今回は腕試しと生活の為の不自由を求めての移住です。ドイツならばチャーターフライトがあるので、イタリアやギリシャ、トルコにも安価に通い続けることが出来ます。もしドイツ人演出家のハイナー・ミューラー氏がまだ存命ならば、状況は変わったかもしれません。
 初めて訪れたのは2012年5月。住み始めたのが2013年11月です。円高を利用してライカを買いに出掛け、その頃はイスタンブルに住んでいて、イスラム性豚肉欠乏症だったので、この街で「ラーメン」ばかり食べていました。ですから、未だにこの街で観光らしいことをしたことがないのです。まだ博物館も入っていません。ゲーテとかハイネとかあるみたいで。。。
 ですからドイツ語もわかりません。寝小便(ゲショーベン)がどうのと・・・(スミマセン)。
 日本でアレが起きて、海外に飛び出し、先ずはアテネで様子を見て、シェンゲン協定があるので、イスタンブルに移動しました。「女星写真」の確立とライフワークのオリオン研究、そして極大期の太陽活動を確実に捉えることを前提として、極大期が過ぎたらEU域内に移動する予定でした。イスタンブルからギリシャやイタリアへ飛ぶよりも、ドイツから飛んだ方が安いのです。
 2013年9月にドイツやフランスなどEU先進国ではフリーランス用のビザあることを、実に遅まきながら知りました。それまでは後進国しか知らなかったので、EU国籍の女性と結婚しなければ住めない(滞在ビザと労働ビザ)と思い込んでいました。だから果たしてEUに移動できるのかは、元々、懸案事項だったのです。トルコで不法就労する気もないですし(そんな日本人女性を多く見かけます。たいした度胸ですね)、芸術の刺激もないので、長く滞在する国でもない。
 イギリス(ロンドン)は食べ物が不味く、フランス(パリ)は言葉と泥棒の多さに降参、結局、ドイツとなり、日本人が多くてラーメンが美味しいデュッセルドルフを選んだ次第です。

 ヨーロッパは移民が多いのですが、トルコ人、ギリシャ人は特に多いです。
 日本人ならば6000-7000人がこの街に住んでいますが、ギリシャ人なら約2倍、トルコ人なら3倍以上の人々が住んでいます。
 ドイツに来て彼らを見ていると、「私の過去が追いかけて来る」ような気になってしまいます。
 こんな日本人なかなか居ないでしょう。ドイツ語よりもギリシャ語の方が遥かに得意な状態です。そんな訳で、やはりギリシャ人がいる場所を覗くのは、私の楽しみのひとつですね。私の台所にはギリシャ製の調味料が多いのです。結局のところ、私はヒュペルボレアス(ギリシャ神話に於ける極北の地)に住みながら、ギリシャとは切れないみたいです(笑)。アメリカもギリシャ人が多いみたいですね。
 ということで、まだ右も左もわかりませんのでこの辺にしておきます。                (11 Dec, 2013)

 こちらに住み始めてから3ヶ月が経過、気がついたら「色音痴」になりました。(25 Mar, 2014)

■ 25 Mar, 2014  Good sunny day in Dusserdolf...